●プロフィール
一般企業で経理として働きながら、アルファ国際学院の日本語教師養成講座を受講。修了後はアルファ国際学院に転職し、実務経験を積む。その後、JICA青年海外協力隊・日本語教師としてウズベキスタンに赴任し、現在は首都にあるタシケント国立法科大学で授業を行っている。
34歳で日本語教師を志し、海外ボランティアへの夢を叶えた若松さん。時には失敗に落ち込みながらも自分を奮い立たせ、言葉と文化の壁を乗り越えてきた道のりについて、詳しいお話を伺いました。
-- この仕事を目指そうと思ったきっかけは?
元々、一般企業で経理の仕事をしていたのですが、仕事としてのもの足りなさを感じていました。
30歳を過ぎた頃、「このままでいいのか…?」と、真剣に転職を考え始め、『海外で働いてみたい』『人と接する仕事がしたい』と強く思っている自分に気付きました。
できることなら自分の好きな仕事がしたいと思い、模索し始めたものの、その時はまだ具体的に仕事を絞れていませんでした。 けれど、とにかく何か始めたくて、まずは英語の勉強をすることにしたのです。
勉強を続けるうちに、外国語を学ぶ面白さ、難しさに興味を持ち始めました。
そんな矢先、日本語教師という職業があることを知り、すぐにアルファ国際学院の養成講座に通い始めたのですが、学ぶうちにどんどん興味が湧き、とても面白くて。いつの間にか、この仕事をやっていこうと心に決めていました。
-- 日本語教師になるまでに、どんな努力をしましたか?
昼間は会社に通いながら、夜は養成講座に通うハードな生活でした。
授業が楽しかったので辛さは感じませんでしたが、生徒同士で役を決めて模擬授業を行う実践講座や、実際に外国人の生徒の方に日本語を教える教育実習などでは失敗することも多く、その度に落ち込んでばかりいました。
時々、この仕事は自分には向いてないのではないかと真剣に考えたりもしましたが、落ち込む気持ちを奮い立たせて必死に勉強することで、一つひとつ乗り越えることができ、少しずつできることが増えてきました。
今では当時の経験や知識がとても役に立っています。
-- どんな道のりで現在の仕事に就きましたか?
日本語教師を仕事にしたいと考えていたものの、学んでいた当時はどのように働くか、具体的には考えていませんでした。
アルファで日本語教師として働いている方の中には、他に仕事を持ちながら、空いた時間で日本語教師として活動を行っている方も多かったので、私もしばらくは同じような働き方で修行を積むのもいいな、と考えていたほどです。
そんなある日、学校でJICA青年海外協力隊の募集パンフレットが目にとまりました。
実は、以前より青年海外協力隊には憧れを持っていましたが、活動できるような技能がないといつも諦めていたのです。
パンフレットを見た時、今なら日本語教師としてボランティアに参加することができるのではないか…と希望ができました。
仕事をしていたこともあり、しばらく悩んでいましたが、周りからの後押しで思い切って願書を提出。結果的に合格することができ、ウズベキスタンへの赴任が決まりました。その後、一定の期間ロシア語の訓練やアルファでの経験を積み、無事に出発することができました。
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