子どもも大人も十人十色で当たり前
発達障がいを持っていなくても、皆それぞれ個性がありますよね。
私は発達障がいのような特性も、個性も、皆グラデーションのように混ざりあって、「何かしらの色」を持っていると考えています。
発達障がいについても、はっきり色濃くわかる人もいれば、少しだけ色が見えるという人もいます。
子どもを見ている中でも、発達障がいの診断ははっきりされていないけれど、何だか動き回ったり、意識が散漫だなと、気になる子は多々いました。
発達障がいを持っている、持っていないで白黒はっきり分けるより、皆、何かしらの色を持ち合わせていて、振れ幅が「何を」「どのぐらい」持っているかと考えるようになりました。
私自身も、昔から「なんだか生きづらい」と感じていたこともあり、心理学を学びました。発達障がいの診断はされていませんが、似たような気質を持っており、昔から感覚が過敏であることに悩まされてきました。
大きな音にびっくりするだけでなく、悲しい曲調に気持ちが影響されすぎたり、匂いや光にも敏感で気分が左右されたりします。
もしかしたら、このコラムを読んでいるあなたも、周りの人も、ちょっとした特徴のある色を持っているのではないでしょうか?
「普通」って何でしょうか?子どもたちと関わっていると、皆それぞれに色々な気質を持っていて、グラデーションのようにはっきり分けることはできず、それぞれ違うことが当たり前だと思わされました。
ひとつとして全く同じ子がいないように、「普通ってないんじゃないかな?みんな違っていて当たり前なんだ」と思うと、発達障がいだから大変だという視点は消えて、子ども一人ひとりに、しっかりと目を向け特徴を受け止められるようになりました。
階段の上り方はひとそれぞれ
勉強の場面や子どもの成長を見た時に、「周りは上手にできるのにどうしてできないんだろう?」と思ってしまう人もいるかもしれません。
子どもの成長のイメージとして、階段を想像してみてください。
あなたは普段、階段をどう上りますか?
リズミカルに掛け上がるでしょうか?それとも一段飛ばしですか?もしかしたら手すりにつかまりながらかもしれません。
階段の上り方は、年齢・性別・体の使い方など人それぞれであるように、子どもの成長や物事に対する乗り越え方も人それぞれです。
当たり前のことですが、意外と頭から抜けてしまうんですよね。かく言う私も、自分自身に対して、「みんなはできるのに、私はなぜ同じようにできないのか」と責めてしまうことがあります。
先に述べたように十人十色、人それぞれ違うことが当たり前なら、みんなと同じようにできなくて当たり前。
その人なりの階段の上り方がきっとあるはずです。
階段を上る時に、足元が不安定だなと感じる時は、手すりや杖を使えば上手く上がれますよね。
それと同様に「どうしてうまく出来ないんだろう」より「何があったら、どうやったらその人にとってやりやすいかな?」とやり方にを向けるようにすると、問題解決への道筋が立てやすくなり、「自分はどんな手助けが出来るだろう」と前向きに考えられるようになりました。
場合によっては、子どもの意見を聞きながら、話し合って行くのもいいかもしれませんね。
まとめ
今回は私の考え方についてお話ししましたが、いかがでしたか?
子どもだけでなく、人と関わるうえで基本となる考え方ですが、いつの間にか、頭から抜けてしまうことだと思います。
もちろん、発達障がいに限らず、様々な困りごとに正面から向き合い、受け入れることは容易なことではありません。
そんな時に、少しでも気持ちを楽にできるように、ひとつの手助けになったら嬉しいです。